もう少しくわしいプロフィール

 1957年3月、北九州市戸畑区に生まれる。孤独を愛する幼児であったため、幼稚園には行かず裏山でアリンコと遊んでいた。牧山小学校に入学したが父親の仕事の関係で3年生の時に沢見小学校に転校。図書委員として本と友だちになる。名門ソフトボールクラブである沢見クラブに入るもついてゆけず挫折。ボールとは以降なかなか友だちになれない。

 

 中原中学へ入学。生涯の恩師であるO先生と出会う。2階建ての校舎の屋根からすってんころりん転げ落ちても普通に歩いて帰れる人間は、後にも先にもO先生しか見たことはない。そんなO先生の剣道部に所属してしまったからには卒業まで続けるしかなかった。おかげで少しだけ体力も根性も増強した。文化祭では演劇部に引きこまれ、端役で出演。スポットライトを浴びる喜びをちょっぴり知ることとなる。戸畑高校に進学し、「ムツゴロウ」こと畑正憲さんに感化され生物学科への進学を夢みるが、「学者では食っていけないだろう」との友人のアドバイスで獣医学科へ転向する。

 

 一浪し、明陵学院予備校で同じ獣医学科を目指すWと出会う。同じ大学を目指していることを知り、「あいつが落ちるか、オレが落ちるかだな」と密かに思っていたら、驚いたことに鳥取大学獣医学科へそろって入学。以後、同じ福岡で開業したWとは、今でもゆるい交流が続いている。決して懺悔ではない。

 

 大学時代はいろいろとあったが、あえてここでは触れないでおく。ただ、中村雅俊の「俺達の旅」が流行った頃であった。あんな感じと書けば同じ年代の人にはわかるだろう。そして下宿屋の I おばさんからは、ありがたいことに今でも美味しい梨が送られてくる。

 

 大学4年生になっても、卒業したら公務員になるのか小動物診療に進むのか、まったく考えていなかった私は、叔母さんの命により博多のS動物病院にお世話になった。院長のS先生は獣医師として、そして男としての私の土台を作ってくださった。

 

 S動物病院では頼りになる兄貴にもめぐりあった。ひとつ上の先輩であるSu先生は、ヌリカベのようにガチガチな私に、一反木綿のような生き方を教えてくれた。技術面ではカリスマ美容師のMさんに動物の取り扱いを厳しく教えていただいた。おかげで、動物をコントロールする限界を知ることができた。

 

 翌年には大学の先輩であるT先生にお世話になった。ここでは、それまで見たことがなかった開胸手術を会得することができた。胸を開いて目の前でドクドクと動く心臓に穴を開けて、フィラリアの虫を鉗子で取り出す手術を見て、「もしかしたら、獣医師って何でもできるんだじゃないのか!」あまりの驚きに大いなる誤解を生むこととなった。

 

 1982年には行橋市で「ふなつ動物病院」を開院。未熟な私を行橋の皆様はやさしく受け入れてくださったが、より良い医療を行うためには一人だけでできないことも多い。そんな中、O先生、S先生、 I 先生らと毎日のように手術を行いながら未来の獣医療について朝まで語り合った。

 

 5年後、O先生と共同で中間市にハーレー動物病院を作ったが、2つの動物病院が合体して一つの病院になるのは当時の日本では珍しいものであった。しかし、開院後わずか1ヶ月でO先生が急病で逝去され、大借金をかかえ再び1人の病院となってしまった。

 

 その後、幸いにも患者様ご支援と周辺の先生の協力によって何とか病院を維持することができ、20名の獣医師と多くの動物看護師を育てることができた。つくづく私は人には恵まれていると思う。

 

 福岡県獣医師会では、部会設立や狂犬病予防接種を安全に行うための仕組みづくりに従事し、その後の過剰繁殖問題対策委員会においては、地域猫になるために不妊手術と耳カットを行う「あすなろ猫」を新しく定義し、この「あすなろ猫」を中心とした「おうちへかえろうプロジェクト」は現在も福岡県獣医師会の助成により続いている。

 

 東日本大震災に際しては福島警戒区域での動物救護ボランティアに参加した。この経験を通して、災害時における動物救護の重要性を実感した私は、ただちに福岡県獣医師会理事会で救護体制の確立を進言し、委員会の設置が承認された。その後さまざまな分野の防災を研究し、日本に初めて災害獣医療チームであるVMATが誕生した。現在VMATは獣医師と動物看護師だけであるが、将来は一般のボランティアさんも含めたチーム作りを検討している。

 

 趣味は多岐にわたるが、小学校のトラウマかボール遊びが苦手なのでゴルフはできない。T先生に、いつも付き合いが悪いと怒られているが、こればかりはトラウマなので仕方がない。収穫が得られるので家庭菜園は好きだが、雑草にはいつも負けている。その他、何を描いているかわからないスケッチ、へなちょこ革細工、アウトドア本でしか行けないキャンプ、収拾のつかなくなった文房具、すぐに壊れる日曜大工、緑にならないネイチャーアクアリウムなどなど意外に多い。

 

 でも、一番の趣味は、「新しい何か」を作って、誰かさんを「驚かせる」ことかもしれない。